えぃじーちゃんのぶらり旅ブログ~東北編20180830~31大潟村
2018年8月30日秋田県八峰(はっぽう)町の道の駅「みねはま」で目覚めたんだけど、夜中からの大雨で時々目を覚まし、ちょっと寝不足気味の状態です。
おまけに8月29日のブログアップも写真整理しか終わらなくて、ぶらり旅の報告文書はこれからの状態。ちょっと焦っていますが、一生懸命8月29日のブログを作成しています。でも、例によって「えぃじーちゃん1号」のサブバッテリーが悲鳴を上げそうなので、秋田県大潟(おおがた)村の道の駅「おおがた」まで走ることとしました。
と、ここで今日の一枚。大潟村カントリーエレベーター公社のお米のサイロ。高さも太さも収容量もわかりませんが、1ヶ所にサイロが10本。それが3カ所あるから30本のサイロに玄米で貯蔵して、需要があったら出荷する、一番美味しいお米の出荷方法だね。
八峰町を出発した、えぃじーちゃんと「えぃじーちゃん1号」。「えぃじーちゃん1号」のガソリンを満タンにして、えぃじーちゃんのお腹も満タンにしようと思って「吾作ラーメン」能代店さんに。どんなラーメンかなと思って検索してみると、県内いろんな所に支店があって、秋田県民のソウルフードと言われるラーメン屋さんでした。注文したのは「しょうゆラーメン」。出汁が効いている訳でもなく、とびっきり美味しい訳でもなく、チャーシューが5枚乗っているのと、何となくズルズルと食べてしまうくらい麺とスープの相性がいいんですかね。不思議とまた食べたくなるラーメンでした。
大潟村の道の駅「おおがた」に到着したえぃじーちゃん。大潟村のことは、日本で琵琶湖の次に大きな湖を干拓をして大規模水田経営をやっている村。程度の知識しかないので、早速「大潟村干拓博物館」で猛勉強。付け焼刃ですが説明させて頂きます。
八郎潟の歴史ですが、約一万年前は氷河期で海水面も低く、男鹿半島から八郎潟も陸続きだったんですね。その後、氷河期から間氷期に入り海水面が上昇し、男鹿半島は島になった。しかし、八郎潟は浅かったので、砂嘴(砂州)ができてきて、北側は閉塞となり、干拓前の姿となった。んですって。
干拓の総面積は、17,239ha(湖水面積の約8割)、農地面積12,792ha、総事業費852億円の大事業
江戸時代から干拓に関する案は数種出されていたが、実現には至らず。昭和20年代オランダ デルフト大学のピーター フィリップ ヤンセン水利工学科教授の指導の下、世界銀行の協力で干拓が始まった。
入植が始まる。入植指導訓練所で指導を受け、入植した。
最初の頃は、トラクターも埋まる苦労の連続だったようだ。
八郎潟周辺に棲む鳥や
シマヘビやヤマカガシも
現在の大潟村では、環境に配慮した農法が採用され
自然の生態系が維持されているんですね。
お米が1トン入るフレキシブル コンテナーの積み上げです。
こちらは、入植当時の生活風景
こっちは、道の駅になりますが、「県立金足農業高校 夏の甲子園100回記念大会 準優勝 おめでとう」は、ほっこりするニュースですね。
ポルダー潟の湯
大潟モール温泉と呼ばれていますが油臭いにおいがちょっとするので、北海道民のえぃじーちゃんにすると、モール温泉の本家「十勝川温泉」より、豊富温泉の方が近いかなと思います。
お隣には、ホテル サンルーラル大潟があり、すごい高層ホテルですね。8月30日のぶらり旅はここでお仕舞にします。
場所は変わって、「八郎潟干拓碑」で、最初に入植で来たところだそうです。
開拓碑の前の道路には、水位標があり、ポンプ排水が無ければ1m程度水没するんですね。日本で2番目に広い湖だったけど最深部で、水深4.7m程度だったんですね。
大潟神社の一角に八郎潟干拓碑はあるので、ちょっと裏口から神社へ
本殿
大潟神社建立記念碑も
相撲の土俵も併設され
本殿の裏には、格式の高そうなもう一つの本殿らしき建物が
今日の一枚でも紹介した、大潟村カントリーエレベーター公社のお米のサイロです。
お米のサイロを撮影していて、後を振り返るとここにも大きな建物が。裏手に回ると秋田県立大学大潟キャンパスでした。
大きな建物は学生寮だったんですね。
さて、こちらは市街地の南端に在る「南の池公園」。このイチョウの葉の黄色さは秋が近づいている証なんでしょうかね?
ここ「南の池公園」には、いろいろなモニュメント等が在ります。こちらは、干拓当時の浚渫船のカッターです。
モニュメントは「煌風の途」
モニュメントの周りには入植された方々全員のお名前が
農村建設事業完工碑や
職員の記念植樹の碑があります。
南の池に行ったんですが、ハスの花の大きさにビックリ。8月26日の北海道安平(あびら)町の鹿公園で見たハスの花の2~3倍はありそうなハスの花でした。
名前は分かりませんが、鳥もたくさんいました。
池の片隅には、手入れされた松と用水?排水?機場が
幹線用水路の水は最盛期の半分以下ですかね。
経緯度交会点を探して水田地帯のど真ん中を「えぃじーちゃん1号」と走ったんですが、さすが、自然に優しい農法の村ですね。白サギも青サギも沢山いるんですよ。
経緯度交会点の東経140度北緯40度の交点が大潟村のほぼ中央にあるんですね。
同じ経度にはマドリード、ナポリ、北京、ニューヨークが、緯度にはハバロフスク、オーストラリアのキングストンがあるんですね。
干拓記念水位塔の上の半円のところの高さは、かつての八郎潟の湖面の高さ
大潟富士の山頂は海抜0m、高さは富士山の千分の一の3.776m
八郎潟にもブラックバスなどの外来魚を放流する人がいるんですね。困ったものです。外来魚を駆除して魚粉肥料にするのは良いですね。
足元には小さな三角点が
日本海に近いので風が強いんでしょうね。幹線の道路や排水路の脇には防風林があります。ここは中央幹線排水路と防風林です。
桜並木も立派な防風林となり
この頃より、桜が満開になると迫力あるでしょうね。(年代不明、南部排水機場)
南部排水機場です。機場関係が続きます。
写真より実物の方がず~っと迫力のある吐水槽です。
現在の八郎潟
ちょっと写真展が続きます。干拓の様子
皇太子(当時)殿下の行啓
海水の侵入防止や水位調整の防潮水門です。
こちらは、南部排水機場で展示されていた写真です。
北部排水機場ですが、お昼休みの時間となったため内部見学は断念
旧北部排水機場で使用していたポンプの羽根車
ポンプの吞み口(吸水槽)手前
浜口機場ですが金網があってちょっと見づらいですがご勘弁を
地図で見るとこの付近の道路で八郎潟は繋がっていないんでしょうか?
実りの秋を間近に控え、頭を垂れ始めた稲穂
どこまでも続く水田風景 って感じですかね。
最後は、道の駅「おおがた」の「農村レストラン なのはな」のカレーライス650円。600円以上で右の皿のサラダや牛乳プリンなどのバイキング付きは安いと思う。