えぃじーちゃんのぶらり旅ブログ~近畿編20190413和歌山県和歌山市和歌山城
2019年4月13日えぃじーちゃんは、愛車「えぃじーちゃん1号」のカーナビを頼りに和歌山県和歌山市の和歌山城内にある駐車場に到着しました。8時ちょっと過ぎに着いたもんだから、営業開始まで小1時間の過ごし方を考えていたが、取敢えず天守の方に行って考えようと思う。で、今日の一枚の写真はやっぱりお城の天守。撮影は本丸御殿跡からです。
えぃじーちゃんが「天守のオープン時間までの行くところは?地図は無いか?」と尋ねると、お嬢さんが掃除中なのに快く地図をくれて、親切に「ここ岡口門と土塀は重要文化財に指定されている。お城の撮影スポットは、本丸御殿跡」と教えてくれました。更に本丸御殿跡に向かったら岡口門や大手門にも行きたくなって、行ってきました。えぃじーちゃんがお天守茶屋に戻って来たら別なお姉さんが「お城教室が今日あるよ」と教えてくれました。教えてくれた天守茶屋の皆さまです。
それでは、駐車場を出発したところに戻って、ちょっと歩くと異常に角度が緩い石垣にビックリ。
表面が剥がれているから、泥岩系の岩を積んでいるんですね。
上から見ると結構な角度ですよね。
こっちの石垣はあんまりきれいな積み方じゃないですね。
天守の塀か櫓の基礎になると綺麗な積み方ですね。
ここもグリーン色の岩ですね。たしか徳島城もグリーン色でしたね。
天守より一段低いところの森にアオサギの巣があるんですね。えぃじーちゃんの記憶では、アオサギの巣があると糞が強酸性だか強アルカリ性なので、森の木が枯れた被害が北海道の各地で起きていたんですよね。お気を付けください。
城内のいろんな施設ですね。
重要文化財に指定された、岡口門と土塀です。天守などは昭和20年の和歌山空襲で焼失してしまったんですが、この岡口門と土塀は焼けずに残ったんですね。
岡口門から大手門に向かっています。
大手門と一の橋ですね。
大手門から裏坂を通って天守に向かおうと思っていると、先ほどは気が付かなかった大木・大樹があるんですね。
パンフレットには「大楠」。看板では「樟樹」。きっとどっちも正解なんでしょうね。
この道では、虎や小鳥に出会いましたよ。
ここの石垣を見ても、一番上の部分は材料も積み方も施工年代も違うような気がしますが、どう思いますか?
えぃじーちゃん、去年から数か所のお城や城跡を見せてもらって来たんだけど、段々と石垣に興味が湧いてきて、積み方とか材料の違いがどうして起こるのか疑問だったんですね。天守を見た後の「お城教室」で教えていただきました。
ちょっと洒落てますね。帰りの通路にはハート形の砂がありました。
「お城教室」に参加しました。えぃじーちゃんの疑問「石垣の積み方や材料が違っているのはどうして?」の答えは、和歌山城で説明すると
豊臣秀吉の時代に弟「秀長」に命じて和歌山城を築城。この時代の石垣の材料は近くの「岡公園」などから変成岩の「緑泥石片岩(通称:紀州青石)や「紅簾片岩(紅色やピンクの岩)」採取した。その後、桑山家の時代を経て浅野家の時代に大規模な増築。徳川家の御三家時代にも増築・改築・補修が行われている。時代が下がると段々石垣の材料の品質が低下(小さな岩しか採れないなど)し、別な採石場(花崗岩:大理石など)から材料を調達したようですね。
こちらは、階段の基礎石の加工方法の違い。下の写真の階段の踏み板の基礎はL字型になっています。
こちらはちょっと古い階段ですが、基礎石の加工は無いです。上の写真の方が地震対策などの新しい工法なんですね。
岡公園の採石場跡です。
これは、岩を切り出す時の矢穴(穴をあけて「くさび」を打ち込む穴)の跡とのことですが、素人が見ても良く分りませんね。
「お城教室」は、まだまだ続いているんですが、今日の車中泊の場所を探しに皆様とお別れして出発。国道42号線の途中に「和歌山ラーメン 幕末」さんがあったので、入店しました。注文したのは、「和歌山ラーメン+餃子」計1,170円
ラーメンを二口ほど啜ったら餃子が来ました。
次回は紀伊水道沿いの海岸線の予定です。